Yoshida Blog
by yoshida_takaaki
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写真について 1

写真について、最近の僕の心境の変化をまとめてみよう。


大学にいたころは、ほぼ毎日カメラをぶら下げ
とにかくいろんなものを撮った。というか視た。

でも、今思うと、それは単に「写真」として
ふだん見慣れた風景が新鮮に見えたことが楽しかっただけであって
本当に、視ること自体に貪欲だったとは果たして言えるだろうか。

日常の中の「非日常」を期待していた、そういうものがあると思い込んでいた。
結局、日常は日常でしかないのだ。

最近というと、普段は仕事以外で写真を撮らなくなった。
35mmフィルムを、オリンパス Penに装填すれば、
しばらくは交換しなくなった。

先の話に戻ると、日常の風景に飽きた、と言えばそれまでだが
ただのスナップ写真に、撮る意味を見いだせなくなった
と言うほうが正しい。
だからなんとなく、写真を撮る意味、つまり、テーマ性が欲しくなった。
写真を撮る目的、狙い、といったものがないと、なかなかシャッターをきれないような気がする。

という訳で、最近写真は撮っていない。

このような心境の変化の境目は
なんといっても、卒業制作があったからこそだと思う。

Self Portraitという、まあ心象風景に近い写真だが
どんな風景を撮っても、どんな場所を撮っても、
結局、すべて僕が写っているようなものだと定義して
僕が好きな場所や、気持ちいい場所を選択し
あたかも僕が透明人間にでもなったかのように
静かにシャッターを切っていった。

最近ようやく、今までのスナップは、いわば「通過儀礼」だということが分かった。
だから、僕は写真において、区切りができ、
ここから新たな写真表現に臨んでいけるんだと思う。
だから、いろんなものを視て、感じて、写してみたい。
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# by yoshida_takaaki | 2010-09-22 23:40
キジの鳥

お盆に、母方の実家に行った。

母の実家のある、青森県・三戸町は好きな土地の一つ。
僕が子どものころは、大好きな犬や猫とふれあうことができる
唯一の場所でもあった。

曾祖母が亡くなって5年ほど経つ。

そういえば今年は、京都駅0番線のホームから
寝台特急日本海に自転車とともに乗り込み
終点の青森駅で降りた。

青森県立美術館に始めて行き、
その足で三戸を目指したが
野辺地で力尽き
自転車を電車に付け三戸のじいちゃんの家に向かった。

春になったら、ばあちゃんの乗っていた原付をくれるというので
三戸から実家のある自宅までおよそ100キロを乗ってきた。

今は、ばあちゃんの乗っていた原付が通勤の足だ。

そんなわけで今年は何かと、三戸にお世話になっている。

お盆に墓参りをした。
先祖代々の墓は、田舎の畑に囲まれた
ちょっとした丘の上にある。

お墓のすぐ裏は、葉たばこの畑がある。
そこには、一羽のキジがいた。

キジの鳴き声は、岩手にいるとよく聴くことができるが
間近で見たのは初めてだった。

目の周りは赤く、
羽は茶色にきれいな白い模様が混じっていた。

キジは、何を食べているのかは分からなかったが
葉っぱをつついたり、地面をつついたりして
畑を歩いていた。

僕の家族や、じいちゃんたちが見ていたけれど
キジは逃げたりしなかった。
僕はそのきれいなキジを飽きもせずじっと眺めていた。

墓参りが終わり、僕はキジを見るのを止め車に戻った。
弟は、携帯電話のカメラにおさめようと近づいていた。

母と弟がしばらくして車に戻ってきた。
さっきのキジは、弟が近づいても逃げもせず
さらに、弟の後をしばらくついてきたのだという。

母は、「あれは、おばあちゃんだったのかもしれない」。と言った。

僕はその言葉が妙にしっくりきた。
ああそうか、ばあちゃんはきれいなキジになったんだ。僕はそう思った。



僕は今、ばあちゃんが畑に向かうときに乗っていた原付に乗っている。
それはなんだか不思議な感覚だ。
乗り心地の問題でなく、気持ちの問題だ。

かつてこのバイクにのっていたばあちゃんは
もうこの世にはいない。
でもこうして僕が乗っている。

汚れもたくさんあったし、壊れてた部分は直した。
つまり、ばあちゃんの付けた痕跡を
僕がお金をかけて消してしまった。
それでも、まだまだばあちゃんの痕跡はまだまだ残っている。
このバイクに乗っていると、ばあちゃんも乗ってたんだなといつも思う。
ばあちゃんのことを思い出すことになる。

だから、今年は特にばあちゃんに感謝しなければならない年だっただけに
キジのことはとても不思議に思えるのだ。

どうか、これからも僕を見守っていてほしいし、
僕もばあちゃんのことは忘れない。
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# by yoshida_takaaki | 2010-08-19 22:54
コミュニケーション

今週から、パンフレットをデザインさせていただいた農園で働いている。

9月末までの契約であるが、
雇用の形式的に、どうやら「入社」したようだ。

始めての就職が、まさか地元の農園とは
大学にいたときは想像できなかった。
これから、どう線路をそれていくのだろうか。
もちろん、本線にもどるためのレールを敷く準備もしたい。

さて、その農園だが
今週は主にぶどう畑で作業している。
誘引という作業で、上へ上へと伸びるぶどうの「つた」を
下へ下へと押しやる作業である。
その際、ぶどうに栄養を行き渡らせるため
にょきにょき伸びる、つるを切る作業もある。

ぶどうからつるが伸びることを始めて知った。
ぶどうの木は細く、横へ横へと伸びていて
それが20列くらいはあるだろうか。

あるぶどうは、列をまたいで
となりのぶどうにつたを伸ばしている。
または、お互いのつるをからませ合っている。
ぼくはそれを、「ぶどうのコミュニケーション」と呼んでいる。

この農園には、30種類以上の品種が植えられている。
ぶどうは、種のちがうもの同士が
こうしてつるをからませてコミュニケートしている。

「やあ、そっちはどうだい?」
「うーん、最近右つたが重くなってきてさ・・・」

なんて感じに、情報交換しているように見えてしまうのだ。
でも、それはそんなにずれてないはずだ。

なぜなら、つたは、何らかの絡まれるものに触れているから
くるくると巻き付くのであって
そこに巻き付く物体が無ければ絡まることはない。
よって、お互い何らかの「刺激」を受け合っているからだ。
そこで会話が成立しているかどうかは別だが・・・。
ぼくはそんなふうにしている姿が、とてもかわいらしく見える。
そして、ああ、生きてるんだなと思う。

こうして一人でデザインしていると
どうしても刺激がなくなるような気がする。
本や雑誌、webを見る、ということで刺激は得られるかもしれないが
大学の時のように、
となりの席で何やら面白そうなことをやっているぞとか
あいつ、いつの間に・・・
みたいな刺激が得られなくなると、ちょっと不安になる。

人は、人から刺激を受け
それは何らかの形でアウトプットされていく。
そんな科学反応が好きだ。
そういう、生身のコミュニケーションというか刺激は
大切だなと思うし、何より楽しい。

やっぱり一人は向いてないなかなあと思うことはよくある。
いろんな仲間に出会って、新しい刺激を受けてみたい。
このまま続けるか、修行に出るべきか・・・
でも、一人だから発見できることも沢山あるんだろうと思う。
じっくり噛み砕いて消化できるんだとおもう。
一人でやっているデザイナーはすごい。

と、ぼくの頭の中は、まるでぶどうのつたのように
あっちへ行ったり、こっちに行ったりと
絡まっているのかもしれない。
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# by yoshida_takaaki | 2010-07-10 12:11
夜、食事中に突然の停電。

外では大雨と雷。両者の音だけが闇に響く。

しばらく、ろうそくをつけて過ごした。
僕は特に不便とは思わなかった。

むしろ、夜の静けさに浸っていた。
それはなんと心地の良い時間だろうか。

僕はいかに無駄な音に囲まれて過ごしているのだと思った。
無駄な音はノイズだ。
それがなければ、落ち着かない人もいるだろう。

高校の時、登下校時はいつもMDプレーヤーを携帯し音楽を聴いていた。
その時はジャンルでいうと主にロックを聴いていたのだが
あるとき、ギターの音に疑問を持った。
「これは、ただの雑音ではないのだろうか」。

雑音が若い人の高揚感を出そうとしているんじゃないかと思った。
そう思ったら、僕はとてもしらけてしまった。

MDプレーヤーがiPodに変わった今、
前まで自転車に乗るときは音楽が欠かせなかったのだが
いまはそれほど必要なくなった。
音楽が嫌いになったわけではない。
今は、もっと自然の音に耳を傾けたいと思っているからだ。

停電の夜、僕はなぜかひとり心地よかった。
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# by yoshida_takaaki | 2010-07-03 01:19
振り返ってみよう
岩手に来てから、デザインの仕事3つ目が終わった。

仕事といっても、このうちお金がもらえたのは2つ。
まだまだお金は少ないが、仕事したことには変わりない。

紫波町は広いけど、どんどん狭くなっていくことを感じられる。人が繋がっていくのを感じる。
それと同時に、失敗できないなとも思う。

べつにどこかに所属していないし、どこかに就職しているわけではないが
就職している人に比べればお金はもらっていないけど、
デザインはできるし、お金ももらえる。
いまは、それが次に繋がってくれることを願って、制作している。
もちろん不安はかなり多い。

こんな僕でもデザインの仕事ができる幸せと、
僕を繋いでくれた人に感謝している。

こっちにきて約3ヶ月、僕を、デザインを必要としている人が
確かにいる、ということをちょっとづつ実感している。
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# by yoshida_takaaki | 2010-06-24 17:10