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Yoshida Blog
by yoshida_takaaki
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at 2011-08-15 22:44
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京都で想う、岩手のこと。
まず、岩手でお世話になった方(特に紫波町でお世話になった方)全員に報告できておりませんで、
申し訳ございません。

僕は6月中旬から、京都にある印刷会社のデザイナーとして働かせていただいております。

3.11の震災後、盛岡のデザイン事務所を辞め、京都に戻る決心をしました。
実は盛岡で働いていた頃から、ずっと京都に戻りたいと考えていました。

僕は岩手でしたかったことのこれっぽっちもできず、
なおかつ、震災が起こってから自分が何もできなかったことを悔しく思います。
それでも京都に来てしまいました。


震災から5ヶ月が経ち、関西にいる今では、被災地の情報が伝わってこないことや
意識の違いに違和感を感じています。

そこに起こった東海テレビのことや、5山送り火のこと。

岩手=東北=放射能に汚染されている

の図式が明らかになり、地理感の曖昧さや
他人事だと思っている人が案外多いのかもしれないなと思いました。

だららといって、僕はこちらの人々に怒る気はありません。

そりゃ遠いところで起こっていること、
ましてや岩手ときいて多くの人が「リアス式海岸」(かろうじて宮沢賢治)ぐらいしかわからない地です。
震災直後、内陸部に住んでいるのに、津波は大丈夫だったのか?
というメールを沢山もらうくらいです。

僕だって四国にある県名や、九州にある県名を、
すべてどこにあるのかなんて分かりません。
(僕が無知なだけですが。)

だから僕は、まずは身近な友人からでも、
3.11に体験したこと、思ったこと、自分が何もできなかったこと、そして岩手のことを
ありのままの話をしていきたいと思う。
少しでも、東北で起こったことを共有していきたい。
舞台に立って演説するようなことはしませんが、
ほんの少しづつでも、わかってほしい。

明日、8月16日、京都では5山の送り火が行われる。
特別、それだけを見に行くつもりはないが
外に出る用事があるので、もしかするとたまたま見えることがあるかもしれない。

ご存知の通り、本当は高田松原の、
津波によって押し倒された松が使用される予定だった。
もしそれ実現していたら、岩手県出身の僕にとっては
意味のある送り火となっていたに違いない。

僕は京都が好きだし、この土地で多くのことを学んだ。
多くの人々に出会えた。
京都の文化、「匂い」が好きだ。

しかし、僕はとても複雑な心境で、明日を迎えることになる。
# by yoshida_takaaki | 2011-08-15 22:44
「頑張ろう!◯◯」
友人と町内の東根山という、標高800mほどの山へ登山に行った。
まだ山開き前なので人はいないと思いきや何人かの人とすれ違う。

登山での挨拶は暗黙のルールだ。

友人に、人が多い富士山の場合はどうなのか、と聞かれた。
富士山では確かに、上に登るにつれ人が多くなり挨拶もおろそかになっていた。

そして、最後の方は疲れて本当は声も出したくない。
もちろん、挨拶されたら返す。

山では同じ時間を共有ている仲間意識と
道の狭さでコミュニケーションが必要なため
挨拶が生まれている。
これを都会の人が多い場所ですると、かえっておかしい人に思われてしまう。
人と人との程よい距離感が生まれるのが登山だと思う。

聞いた話だが、早朝に京都の鴨川沿いを散歩すると、挨拶が生まれているという。
しかし、朝が終わると挨拶は無くなるという。(その時間の境い目は不明)
これもまた、時間の共有と人の少なさが生む微妙な距離感だ。


1度デザイン事務所に勤めて、僕のデザインは本来の役割である
「コミュニケーション」が出来ていないなと感じた。
つい自分の作業に気を取られてばかりで、デザインのその先を考えていなかったように思う。
それに気づいて以来、コミュニケーションということを、たまに考える。

他人事だが、最近特に思うことは「がんがろう!岩手」だ。
素直にそう言いたい気持ちはよく分かる。
しかし、何を頑張るのか、それが人の心に響く言葉で、最も正しい表現なのか。
なんとなくな感想だが、思いやりが見えないのだ。

そして、折込チラシにはもはや、暗黙の決まり文句状態のごとく何を見てもその言葉。
僕にとってはもはやその言葉が無いチラシの方が気持ちいい。
では何がいいのか、と言った提案はできる訳でも無いが
でも、誰も見捨てていない気持ちが伝わるとうれしい。

しかし、同じ頑張ろうでも、沿岸の被災地、釜石の街で見た
「頑張ろう!釜石」は、とても強く、元気出るような印象を受けた。
もしかするとこれは、実際に被害を受けた沿岸と、そうでない内陸とのギャップなのかもしれない。
だから、がんばろう!日本(岩手)と言われてもピンと来ないのではないだろうか。

確かに日本は一つのチームかもしれない。
でも、実際に被害を受けているのは一部地域だ。(原発は地球レベルの問題だが)
ただでさえ、同じ県内でも温度差は大きいと感じた。
だから、頑張ろう!釜石は強かった。


本当は登山の感想を書いて写真をアップするつもりでしたが、ここまで書いてしまいました。
改めて一番上から読んでみて、登山や鴨川での挨拶が生まれる、共通性や場所といったことが
後半の頑張ろう!釜石の強さにもいえるのではないだろうかと感じた。
# by yoshida_takaaki | 2011-05-01 00:20
被災地の様子と、感じたこと
先週15日、岩手県社会福祉協議会の主催する災害ボランティア活動で
大槌町へ初めて行って参りました。
そして17日、これは個人的に京都の美術作家をしている友人と釜石市に行って参りました。

15日に大槌町を訪れた際の、私なりの報告をさせていただこうと思います。


私はグラフィックデザイナーとして、今何が問題で何が必要とされているのか現状をこの目で見て
今後の活動に生かしていきたい、という思いが日に日に強くなり、先週社協のHPを見てボランティアに応募しました。

期日は4月13・14・15日の3日間の募集でいずれも定員は80名でした。
移動は観光会社が用意したいわゆる「ボラバス」で、大槌町・山田町へ計4台の大型バスで移動しました。
私は15日に参加し、大槌町へ行くことにしました。

乗り場は盛岡駅・ふれあいランドのいずれかから乗車することができ、
私はふれあいランドからの乗車となりました。
バスはほぼ満席で、参加されている年齢層も様々で、驚きました。

バスは396号線を通り、遠野、釜石経由で大槌に入るというルートでした。
まず、遠野に入ると盛岡周辺とは異なる雰囲気を感じました。
ここが都市部と沿岸被災地の中継地なのだと実感し、
これから被災地に入るんだ、という気持ちになります。

仙人峠の自動車専用道路を通り、釜石市に入る前ぐらいから渋滞が発生していました。
この影響で到着時間が30分ほど遅れたと思います。

まず、釜石駅前を通り、商店街のある道に入った途端風景が変わっていました。
商店の1階は壊滅状態であちこちに積み上がるがれきの山。
大槌町に入るとさらに酷く、街全体ががれきの山でした。正直、これ何年かかるのだろう、という果てしない量。
とても震災から1ヶ月経ったようには見えませんできた。

派遣された場所は国道45線沿いの大槌北小学校にほど近い住宅地で
作業内容はというと、1班5人が3班で1軒のがれきの撤去を行いました。

家は基礎を残すのみで形は無く、電柱や大きな木が倒れ
流れてきた木材や家の柱やゴミがたくさんありました。
ボランティアはそれらを片付けるのが仕事でした。
片付けると言っても、捨てる場所が無く
とりあえず土地の裏に集めておく程度でした。
(その片付けは誰がやるのだろうか・・・。)

天気は快晴だったのですが、海からの浜風が砂ぼこりを巻き上げ
サングラス、マスクをしていても目や口に入ってきます。
次回はサングラスというよりはゴーグル、風邪予防のマスクよりは土木作業用等のマスクが必須だと思いました。
また、がれきはほとんどが木片で釘やササクレが鋭く剥き出し、慎重な作業を強いられました。
それにより、軍手よりは厚手のゴム手袋、普通の長靴よりは鉄入りの作業靴、もしくは底が厚い登山靴等が良いかと個人的には思いました。
いつ釘が刺さってケガをしてもおかしくない状況でした。
家の方の写真アルバムや位牌等をたびたび見つけました。大切な財産なので、より慎重に扱います。

昼食をはさんで、5時間ほどの作業で大きな木材等は撤去できましたが完全には終わることはできませんでした。
まだまだ細かい破片や砂、重機が必要な電信柱、木、コンクリート等は横たわったままでした。
作業が終わった後、内心、本当に役に立てたのだろうか。と思い、複雑な心境で現場を後にしました。
家の方も立会っていただきながらの作業でしたが、正直どう声を掛けてよいのか分からず
被災者の心意を伺うことはできませんでした。


今回のボランティア活動を通して、このまま継続して活動していくことが大切だと感じました。
そしてより沢山の方にこの現状を知ってもらい、1人1人が考えてほしいです。
同じ岩手県内とはいえ、内陸と沿岸の温度差があると感じたので、1人でも多くの人が参加してほしいと思います。

正直、今僕に何ができるか、といった答えは見いだすことはできませんでした。
いまも頭の中がモヤモヤとしていて、悔しい思いです。

でも僕は岩手に居る限りはこうした活動に参加し、現状を知り、今後の活動のなかで
デザイナーとして、どう社会にアウトプットしていくかを常に考えていこうと思います。


帰りのバスは渋滞を避けるため、吉里吉里、山田、宮古を経由して盛岡に戻りましたが
吉里吉里はもっと手つかのような印象を受けました。
それとは対照的に、夕方の海はとても穏やかで、きれいな青でした。



機会があればできるだけ多く現地に行って活動したいです。
# by yoshida_takaaki | 2011-04-19 16:37
2010
今年を振り返ってみようと思う。

僕は京都の大学を卒業し
この4月に岩手に帰ってきた。
東京で働かずに、岩手で顔の見えるお付き合いというか
僕がデザインしたもので、人の喜んでくれる顔が見てみたいと思ったからだ。

まず僕は、町内でデザインが必要とされるのはどこであり、
どんな方、団体なのかと考えた。
そして、町内のNPOを知り、そのご縁でいろいろな方々と出会う。
そのご縁で、小松菜のパッケージデザインを制作。
フリーとして、はじめて世に出たデザインとなる。

町内のNPOの方の依頼で、日詰・郡山駅周辺のMAPを制作。
紫波中央駅に掲示される。

そのNPOの方のご紹介で、高橋農園からパンフレットのデザイン依頼が。
何度も足を運び、形にすることができた。
パンフレットは町内外の産直等に置かせていただいた。
そのおかげで、多くの方からダイレクトに感想を聞くことができた。
ほどよく力が抜け、いいものができたと思う。

そのご縁で、7月ー9月まで農園で働く。
農業の知識、産直の現状を知ることができた。
(車の運転技術もUP)

そのパンフレットがきっかけで、盛岡のデザイナーの方を紹介していただく。
お会いして作品を見ていただき、盛岡の現状等をきき、アドバイスをもらう。
いくつかデザイン事務所を教えていただく。
(そのころ、東京のデザイン会社に送った書類選考が通り、面接に行く。東京で働くことを考える)
9月いっぱいで農園を退社。

その後はデザインの依頼が減り、ただ家にこもる日々が続く。
僕が岩手に来た理由を失い始める。
大学4年の時にご縁あって知り合ったデザイナーの方に相談する。

そんなときに、先のNPOの方から、水に関するフォーラムのチラシデザイン依頼をいただく。
当日は京都にいたため、実際に見に行くことはできなかったものの、
150人の人が来場されたとのこと。感謝の言葉をいただき、
デザインの可能性、デザインの持つ力を思い知らされる。

京都に行き、短大の恩師に会い、当初の目的を再確認。
精華大にてナガオカケンメイさんのトークを聴く。


岩手に戻り、決意を新たに、アルバイトを探そうと決意。
町内のNPOの方に求人を訪ねてみたり、ハローワークで求人を探す。
でも僕は内心、デザイン以外の仕事はしたくなかった。

両親に今の現状に喝をいれられ、自分に悔しいのと、両親に申し訳ない気持ちで泣いた。


悔しさから、盛岡のデザイン事務所をさがす。

農園にいたときに知り合ったデザイナーの方から教えてもらった事務所にメールを送るも無視される。
思いきって電話した事務所に作品を見せにいく。

事務所のデザイナーの方から、たまたま人が抜けるというデザイン事務所を紹介していただく。
(紹介していただいた方は、父の高校時代の同級生だということが発覚。)

紹介いただいた事務所を訪問、作品を気に入っていただき
アルバイトで1月からデザイン事務所で働かせていただくことに。
(同級生のデザイナーの方から、父に借りっぱなしだったという高校の卒業アルバムを返却される。18歳の父の顔を初めて見る。)

すごく長くなってしましましたが、僕の2010年は
縁という一言に尽きると思う。

ほぼ無計画で岩手に帰ってきたことをとても後悔したけれど
いつか、「ああ、こういうことだったんだね」。と
一本の糸が繋がる日が来るのだと思うし
そうなるようにしたい。
いま僕がここにいることを、後悔しないように
これから生きていこうと思う。

とてもしんどい1年でしたが、もう今日で終わり。

岩手で出会った方々、京都の皆さん
本当に感謝しています。


それでは、良いお年を。
# by yoshida_takaaki | 2010-12-31 20:05
実験

今日、9月30日をもって、高橋農園との雇用契約が終わり、退社した。

この2ヶ月間、僕はいろいろなことを学んだ。
農業のこと、産直の現状・・・。

どうすればモノが売れるのか、どういう時期に需要があるのか
ほぼ毎日産直へ配達に行き、岩手の産直の一部の現状を、客観的に視ることができたと思う。
良い部分、悪い部分がよく見えた。

これからは、農業にデザインが今以上に必要になってくるときが、必ず来る。

それを気付き始めたのは、僕を選んだ農園の社長であると思うし
華のない売り場に、新しいデザインしたのは、ここら辺では僕だと思っている。
僕は農園で働き、様々な「実験」をした。
実験の成果は、少なからずとも出ている。
また、それを試行錯誤しながらダイレクトに感じることができたのは
農園で働けたからこそ、だと思う。


「蚊に効くカトリスの実験♪」

のCMを見るたびに僕は思っていた。
人生も、「実験」だよなあと。
同じく、

「こんなことでCMになるのかの実験♪」

と、CM中では歌って締めている。
僕はこの部分に、すごく考えさせられる。

広告の勉強をしてきたのもあるだろうが
クリエイターの試行錯誤が伝わってくるのだ。
彼らは「実験」しているのだ、広告の可能性を。

僕は、産直においてのデザインの実験を試みた。
もう、同じような商品で溢れかえる産直では
いくら生産者がこだわりをもって、愛情かけて育てたものでも
その特色を打ち出さない限り、殺風景なプレハブ小屋の中で埋もれていくだけなのだ。


人生「実験」だ、と先に書いたが
人生においては、その「実験」が終わったあとの
「成果発表」が必要とされるのだが・・・。

僕は残念ながら、まだその領域には達していない。
# by yoshida_takaaki | 2010-09-30 21:50